コスモス自販機という「怪しい宝箱」の記憶
1970年代から80年代にかけて、全国の駄菓子屋や個人商店の軒先、あるいは怪しげな空き地の軒下などで、独特の赤い筐体(きょうたい)を光らせていた自動販売機がありました。
白抜きの文字で大きく書かれた「COSMOS」のロゴ。
それが、当時の子供たちにとっての秘密基地であり、大人の目を盗んで覗き込む禁断のワンダーランドでもあった「コスモス自販機」です。

♪僕等もほし~い~、コスモスぅ~
当時、こんなフレーズのテレビCMが流れていたのを覚えている人もいるでしょう。
100円玉や200円の硬貨を握りしめ、あの武骨なレバーをガチャンと押し下げる。
白い箱やカプセルの中に何が入っているのかは、開けるまで分からない――。

今思えば、現代の洗練されたカプセルトイの先祖返りのようなシステムですが、当時のコスモス自販機が放っていた「当たり外れの極端さ」と、ほんのりと漂う「アングラな空気感」は、今の綺麗に整えられた玩具にはない独特の魔力があり、私たちの胸の鼓動を間違いなく最高潮に達めさせていました。
兄が持ち帰った、公式か怪しい「浅倉南のバッジ」
実は私自身、幼少期はコスモスの自販機を自ら進んで回した記憶はそれほど多くありません。
あの赤い箱が醸し出すどこかアングラな雰囲気に、少しだけ気圧されていたのかもしれません。
そんな私の前に、コスモスという文化を強烈に突きつけてきたのが私の兄でした。
ある日、兄が「当たりを引いた!」と興奮気味に家に持ち帰ってきたのが、当時大人気だった漫画『タッチ』のヒロイン・浅倉南の絵が描かれたバッジでした。

一応、隅には「©」のようなマークが印字されていましたが、それが本当に公式の許可を取ったものだったのかは、今でも謎に包まれたままです。
当時はこうした「グレーゾーンの駄玩具」が、子供たちの日常に当たり前のように溶け込んでいました。
地元スーパーのガチャガチャで遭遇した「ロッチ」の衝撃
そして、コスモスが残した最大の伝説といえば、やはりあのビックリマンの偽物、通称「ロッチシール」でしょう。
私が初めてその存在を知ったのは、地元のスーパーの前に設置されていたガチャガチャでした。
当時、社会現象になっていた本家のビックリマンチョコは1個30円。
小学生の限られたお小遣いでは、3個買ったら90円で、手に入るシールは当然3枚だけです。
しかし、その目の前にあるガチャガチャは1カプセルに5枚も入っているのです。

100円で5枚入り!
これはお得すぎる!
と、お小遣いをコツコツ貯めていた私は大喜びで100円玉を投入し、ハンドルを回しました。
出てきたカプセルからシールを取り出した瞬間は、まさに歓喜そのもの。
絵柄は紛れもなく、憧れのビックリマンだったからです。
ところが、悲劇はすぐに訪れました。
手に入れたシールをじっくり眺め、何気なく爪で絵柄の表面を少し擦ってみたのです。
すると、信じられないことに、きらびやかだったプリントが「ポロポロ」と音を立てるように剥がれ落ちていくではありませんか。

えっ!?
と頭が真っ白になりながらシールの裏面をひっくり返すと、そこには見慣れた「ロッテ」ではなく、小さな文字で「ロッチ」と印刷されていました。
あの瞬間の、胸が締め付けられるような絶望感と

騙された!!
という悔しさは、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。
本物に対する圧倒的な憧れがあったからこそ、その偽物を掴まされたときの精神的ダメージは、子供の心にはあまりにも大きすぎたのです。
現代のようにSNSで瞬時に「偽物情報」が拡散される時代とは違い、当時の私たちはこうして実際に痛い目を見て初めて、大人の世界の「したたかさ」を学んでいったのです。
カプセルから転がり出た、チープで愛おしい怪玩具たちの世界
しかし、コスモス自販機の真の魅力は、そうしたスレスレのシールだけではありません。
むしろ、私の物欲と好奇心を激しく揺さぶったのは、カプセルを割った瞬間に現れる、プラスチック臭の強い「怪しいおもちゃたち」でした。
なかでも強烈な記憶として残っているのが、実車のデザインを強引にデフォルメした、メーカー不明のミニカーです。
本家のトミカのような美しい塗装や、ずっしりとした亜鉛合金の重厚感は一切ありません。
ボディは引き締まりのないペラペラのプラスチック製で、シャーシの噛み合わせもガタガタ。
走らせてみると、車輪が歪んでいるせいで真っ直ぐ進まず、カチャカチャと頼りない音を立てて斜めに滑っていきます。
大手の玩具メーカーが絶対に作らないような、どこかパチモノ臭漂うスーパーカーのシルエット。
ウイングの角度やライトの形が微妙に歪んでいるその姿に、子供ながらに「おもちゃの既製品の枠を超えたナニモノカ」を感じ、独自の愛着を覚えていったのです。
他にも、スーパーカーの消しゴムを弾いて遊ぶための「謎のスプリング式発射装置」や、指にハメて遊ぶものの数回でパキッと割れてしまうクリアプラスチックの指輪、触るとベタベタして壁にくっつく不気味なハンド型のゴム玩具など、大人から見れば「ゴミ」と一蹴されるような駄玩具たちが、あの赤い箱の中には無限に詰まっていました。

正しさのなかにあった「大らかな時代の熱量」を愛おしむ
今振り返れば、あのコスモス自販機は、コンプライアンスや著作権が厳格になった現代では決して許されない、グレーゾーンの塊のような存在でした。
しかし、あの歪んだミニカーを自分の手首が痛くなるまで床に擦りつけて走らせたり、ロッチシールを「これはこれでレアなんだ」と自分に言い聞かせて学習机の引き出しの裏にこっそり貼ったりした時間は、私にとって紛れもない「玩具との対話」でした。
完璧に計算された美しい既製品のおもちゃからは得られない、作り手の執念とも狂気とも取れるB級の熱量。
少額で大博打を打つようなスリルを味わい、友達同士で

それ偽物じゃん!

こっちは本物っぽい!
と見せ合って笑い転げたあの時間。
外れを引いた悔しさすらも、次への挑戦のエネルギーに変わるような、奇妙な熱量がそこにはありました。
夕暮れ時、駄菓子屋の前で瓶ジュースを飲みながら、コスモスのレバーを引く音を響かせる。
あの空間と、チープなプラスチックの匂いこそが、昭和・平成を駆け抜けた私たちの原風景だったのかもしれません。
今の時代には存在し得ない、あの「雑さ」と「大らかな怪しさ」。
コスモス自販機が遺した手のひらの上の思い出は、受け止める自分なりのストーリーによって、今も色褪せることなく、私たちの記憶の中で独特の輝きを放ち続けています。

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