シャ乱Qはゲーム番組から始まった?スーパーマリオクラブ出演時代と大ブレイクを振り返る

月夜の中のシングルベット アーティスト

「シャ乱Q」ゲーム番組の脇役から大物ミュージシャンへ。あまりにも劇的だった大逆転

私がシャ乱Qというバンドを初めて知ったのは、テレビ東京で放送されていたゲーム番組『スーパーマリオクラブ』だった。

当時は渡辺徹がMCを務めており、オープニングテーマとして流れていたのがシャ乱Qの**「友達はいますか」**である。

当時は「シャ乱Q」という名前の読み方すら分からず、「変わった名前のバンドだな」という印象だけが強く残っていた。


『スーパーマリオクラブ』では、たいせーの存在感が圧倒的だった

オープニング曲を担当していた縁もあってか、シャ乱Qは番組にも出演し、ゲーム対決などにも参加していた。

何のゲームで対決していたのかまではもう覚えていないが、当時の私の記憶では、とにかくキーボード担当のたいせーのキャラクターが強烈だった。

そのせいか、当時のつんくにはあまり印象が残っていない。

あまりにも影が薄かったのか、『スーパーマリオクラブ』へ出演していたこと自体がWikipediaにもほとんど記載されていないほどである。

当時の私にとってシャ乱Qは、「ゲーム番組によく出ているバンド」くらいの認識だった。


『上京物語』から一気にブレイク

その後は特にシャ乱Qを追いかけていたわけではなかった。

しかし、久しぶりに彼らの名前を耳にしたのがTBSの『COUNT DOWN TV』だった。

オリコンランキングで**『上京物語』**が40位前後から少しずつ順位を上げていく様子を見て、「あれ?あのシャ乱Qが売れ始めている」と驚いた記憶がある。

そして続く**『シングルベッド』**が大ヒット。

さらに

  • 『ズルい女』
  • 『My Babe 君が眠るまで』

とヒット曲を連発し、一気に人気アーティストの仲間入りを果たした。

ゲーム番組で見かけていたバンドが、ここまで大きな存在になるとは当時は想像もしていなかった。


つんくはプロデューサーとしても才能を発揮する

今では、つんく♂と聞くとシャ乱Qよりもハロー!プロジェクトのプロデューサーという印象を持つ人も多いだろう。

その転機となったのが、伝説的オーディション番組『ASAYAN』である。

番組内で行われた女性ロックボーカルオーディションでは、当初はシャ乱Qが合格者をプロデュースするという企画だった。

つまり、最初からつんく一人がプロデューサーになる予定ではなかったのである。


モーニング娘。誕生の衝撃

オーディションで見事優勝したのは平家みちよだった。

一方で、惜しくも落選した参加者たちを見て「このまま終わらせるのはもったいない」と考えたつんくが結成したのが、後の**モーニング娘。**である。

平家みちよはシャ乱Qのギタリスト・はたけが中心となってプロデュースし、つんくはモーニング娘。を担当することになった。

オーディションの細かな内容はもう覚えていない。

しかし、グループ名が発表された瞬間だけは今でも鮮明に覚えている。

その名も――

「モーニング娘。」

正直、その時の私の第一声は、

うわっ、つんく、ついにふざけ始めたな……。

だった。

当時そう思った視聴者は、決して少なくなかったのではないだろうか。

発表を聞いたメンバー自身も、どこかリアクションに困っているような表情だった記憶がある。


誰も予想できなかった大成功

ところが、結果は誰もが知る通りだった。

モーニング娘。は国民的人気アイドルグループとなり、社会現象と呼べるほどのブームを巻き起こした。

当時は「この名前で本当に売れるのか?」と思っていた私も、気が付けばその名前に何の違和感もなくなっていた。

やはりヒットメーカーの感覚というものは、凡人には理解できない世界なのだろう。

一方で、圧倒的な歌唱力でソロデビューを勝ち取った平家みちよが、結果的にモーニング娘。の人気に押される形となり、大きなブレイクには至らなかったのは何とも皮肉な話だった。


シャ乱Qから時代を代表する存在へ

その後のつんくは『ASAYAN』でも小室哲哉と並ぶ人気プロデューサーとなり、さらにハロー!プロジェクトの総合プロデューサーとして数多くのヒットを生み出していく。

やがて秋元康と並び称される、日本を代表する音楽プロデューサーの一人となった。

一方でシャ乱Qとしては、メンバーの脱退や、つんくが病気によって声帯を摘出し、声を失うという非常につらい出来事にも見舞われた。

それでも、音楽界に残した功績は計り知れない。


まとめ

私にとってシャ乱Qは、最初は『スーパーマリオクラブ』でゲーム対決をしていた、少し変わった名前のバンドだった。

それが『上京物語』や『シングルベッド』で一気にブレイクし、さらに、つんくはプロデューサーとしても歴史に残る成功を収める。

当時ゲーム番組を見ていた頃の私は、まさかここまで日本の音楽シーンを代表する存在になるとは夢にも思わなかった。

だからこそ今振り返ると、「ゲーム番組に出ていたあのシャ乱Qが、ここまで大きくなったんだな」という驚きと感慨が、今でも強く残っている。



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